「いや、殿は二、三、案を出されただけで
「いや、殿は二、三、案を出されただけで、この庭の設えは殆(ほと)んど職人らが考えたものじゃ」
「そうなのですか?」
部屋同様、全て信長の指揮と考えのもとで行われていると思っていた三保野は、意外そうに目を瞬いた。
「部屋の家具は、用意も設置も殿の思いのままに出来るが、庭ばかりは土地のことから草木のこと、水に至るまでの知識がなくては難しい。
さすがの殿も、職人方の意見を採り入れずして庭を整えることは出来なかったと見ゆる」
「まぁ、でしたら職人さまさまにございますなぁ」會計審計服務
「ほんにのう」
濃姫は三保野と声を揃えて笑いながら、ふと、右手に見える渡り廊下の方へ目を向けた。
侍女のお菜津が、一通の書状を胸の上に抱えながら、足早にこちらへ駆けて来る姿が見えたのである。
濃姫は膝元に置かれていた湯飲みをスッと横にずらすと、お菜津が駆けて来る方向へと身体の向きを変えた。
やがてお菜津が濃姫の部屋の縁までやって来ると
「失礼致します。……恐れながら、お方様に一つ、お伺い致したいことがございます」
姫の前で平伏の姿勢をとりながら、固い表情で訊ねた。
「何じゃ?」
「お方様のお身内、或いは美濃の頃のお知り合いの中に、笠松なるお方はおいでにございましょうか?」
「かさまつ?」
お菜津は頷くと、胸の上に抱えていた書状を姫の前に差し出した。
「美濃からお方様に宛てて、笠松殿というお方からお文が届いているのですが、ご存じではありませぬか?」
「美濃でのう…」
濃姫が思わず思案顔になって考えていると
「姫様、もしや小見の方様にお仕えしておられる侍女の笠松様のことではありませぬか?」
三保野がやんわりと告げた。
「おお、あの笠松殿か」
確かに美濃の知り合いで笠松といえば、母付きの侍女頭くらいしか思い当たる節がない。
濃姫はうむと首肯すると
「我が母に仕えておる者やも知れぬ」
お菜津の手から文を受け取るなり、そのままスクと立ち上がり、室内へと入って行った。
濃姫は居間の上座の腰を下ろすと、さっそく表に“帰蝶様へ”と書かれた上包みを外し、中から丁寧に折り畳まれた文を取り出した。
三保野とお菜津も入室し、着物の裾を整えながら姫の傍らに端座してゆく。
《 帰蝶様におかれましては、まことにお久しゅう、お懐かしゅう存じます。お方様にお仕えする私が、身の程も弁えず、帰蝶様にこのような文をお送り申すこと憚りながらも… 》
初めの文章に目を通した濃姫は
「どうやら三保野の言うた通りのようじゃ」
「では、やはり笠松様から?」
「ええ。…“内々に帰蝶様へお伝え致したき儀があり筆を取った次第”、そう書かれておる」
「内々にとは、どのようなお話にございますか?」
「暫し待て、今読んでおる」
三保野の急かすような視線を浴びながら、濃姫は再び文面に目を泳がせた。
三保野やお菜津は、姫が文を読み終わるまで彼女の細面を眺め続けるしかなかったのだが、二人は一向に退屈しなかった。
文面に視線を落とす濃姫の表情が、喜びから怒りへ、哀しみから楽しさへと、
喜怒哀楽を数秒の内に何度も顔一つで表現するものだから、見ているだけで愉快な気持ちになれた。
ただ、文の内容が良き話なのか悪い話なのかは、姫の表情からはまるで読み取れなかったが…。
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