の支度だっけ」
の支度だっけ」
桜花はポツリと呟いた。すると、背後に人の気配を感じて振り向く。
「せやよ。うてくれる?」
そこには笑みを浮かべたマサが立っていた。独り言を聞かれた気恥ずかしさも相俟って、桜花は俯くと小さく頷く。
へ立つと、マサの言い付け通りに動いた。事前に藤からある程度のことは教わっていたというものの、やはり慣れないものは慣れない。
火起こしや水汲み、生髮藥副作用 火の加減まで全て手作業なのだ。当たり前に使っていた文明の利器がどれだけ有難いものかと身に染みる。
ふう、と一息吐き、腰をとんとんと叩いているとマサが鍋を掻き混ぜながら口を開いた。
「うん、今日も美味しそうや。桜花はん、すまへんけど。勇之助を呼んで来てくれへん?お隣の壬生寺さんで遊んではると思うんやわ」
「はい。分かりました」
袖が汚れないように止めていた紐を解き、前掛けを取ると桜花は厨から出て行く。
見上げた空はすっかり橙色へ染まっており、少し冷えた空気が吹いていた。京は山々に囲まれているせいで、日が暮れるのが特段早いのである。
砂利を踏み締めながら、八木邸の門を潜ると坊城通を南へ進んだ。すると直ぐに壬生寺の門が見える。門の外にまで子ども達の声や複数の足音が聞こえてきた。
それを越えて境内へ進んでいくと、大きな本堂が見える。その前には、こちらへ背を向けた一人の大人と、複数の子どもたちの姿が見えた。
誰だろう、と思わず足を止めてその様子を伺う。二本差しで髪を後ろで一つに束ねた男が何かを言うと、子どもたちが散り散りに走っていった。
「ひい、ふう、みい…………よし、行きますよー!」
男は声高らかに宣言すると、くるりと振り返る。
──あれは、沖田先生……?
先日の覇気のある剣豪の姿は何処にも無く、子どもと同じように無邪気に遊んでいた。
呆気に取られていると、桜花に気付いた沖田が近付いてくる。
「えっと、あの、」
言葉を探しているうちに、沖田は満面の笑みで桜花の肩をポンと触った。
何の真似だと沖田を見やると、既にそこに彼の姿はない。
「次は桜花さんが鬼ですよ!ちゃんと十数えて下さいね!皆逃げろーッ」
沖田の掛け声に、子どもたちは愉しげな声を上げると駆け回った。
突然のことに桜花はポカンと口を開いたまま立ち尽くす。だが、すぐに遊びに巻き込まれたのだと頭が理解した。
「あの、沖田先生!私は勇坊を!」
「えー?何ですかー?私を捕まえられたらお話を聞きますよ!」
沖田は聞こえないと言わんばかりに、遠くで両手を上げて大きく振っている。それを見た桜花は困惑するように眉を顰めた。
なんて迷惑な人なんだと心の中で思いつつ、腕を伸ばし、次に膝を伸ばす。最後に手首と足首を回すと沖田を視野に入れた。
そして勢いよく駆け出す。桜花は昔から走る速さには自信があった。まるで猪のように真っ直ぐに駆けてくる姿に、沖田は目を丸くするとニヤリと口角を上げる。
「そう簡単に捕まりませんよ!」
沖田はひらりとすと、全速力で駆けた。この沖田は新選組では剣の腕も随一だが、足の速さもまた然りで有名だった。
だが、桜花も負けじと追い掛ける。もはやそれは子どもの遊びの範疇を越えていた。
「総ちゃん!負けやんといてや!」
「桜ちゃん、気張れー!」
いつの間にか子どもたちは足を止めて、その成り行きを応援している。
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